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記憶に残る味。

遠い昔の思い出の味に意外なところで出会って驚くことがある。

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わたしの祖母は亡くなってもうすぐ7年になる。
料理上手で働き者の祖母だった。
父方の祖母はわたしの生まれる前に亡くなっていたのでおばあちゃんといえばこの人の思い出だけ。

生きていれば98とか99とかもうすぐ三桁になるくらいの明治生まれの人。
母方の祖母だったので一緒に暮らすことはなかったし、家も遠くはないがご近所でもなかった。
小さな子供のころは盆暮れ正月に遊びに行くと祖母とはなれるのがイヤでまるで今生の別れかのように
眼に涙をいっぱい浮かべて家に帰るおばあちゃん子だったわたし。

母が2番目の子で長女だったから初めての外孫の長が私になる。
だから、従姉妹の中でも祖母との思い出も記憶もたくさん有った。

農家の祖母は、百姓はなんでも作るもんだ、、といって
本当になんでも作る人で、戦後の混乱期までは麹を家で寝かせて味噌ばかりか醤油も自家製だったそうだ。
とくに和菓子は絶品だったと甘いもの好きの叔父が絶賛していた。

確かに、これからの季節の草餅も、熟れたイチゴのジャムも、柏餅も
ふかしまんじゅうやあんころ餅などの小豆のお菓子もよく作っていたようだった。

おばあちゃんの作るイチゴジャムは
昔ながらの作り方でよく潰したものをじっくりと煮たもので色も赤茶色。
味もかなり濃くどっしりとした味わいのもの。
正直、わたしはこのジャムの濃厚さがちょっと苦手な向きもあった。

あるとき、たしか鎌倉のベルグフェルドだったか、その隣りのアルトシュタットだったかそれとも、、、とにかく
鎌倉のあの界隈のお店の棚の上に祖母の住んでいた街の名前が刻まれた赤茶色いジャムが目に入った。
東京にある有名なレストランが販売元だった。

ジャムの名前は”鉄砲塚清四郎の手作りいちごジャム”とちょっと忘れられない名前のジャムだった。
見覚えのある色合いと、知った街の知らない人の作った手作りジャムに興味を感じて買って帰って来た。

そのジャムを買った時たぶん祖母が亡くなる前後だったろう。
亡くなる前10年ぐらいはもうジャムも作らない、、と言っていた。
わたしが最後に食べたのはいつだったろう、、きっと二十歳ぐらいだったと思う。
だから当時は15年ぐらい祖母のジャムを食べていなかったと思うのだけれど
家に帰って味わったそのジャムは
祖母の作るジャムと驚くほどとても良く似ていた。

子供のころちょっと苦手だった祖母のジャムを思い出させたジャム。
妹にも感想を聞けば同じことを言っていた。
おばあちゃんが作ってくれたジャムとそっくり。

濃厚なイチゴジャムは、路地栽培の完熟イチゴ。もしかすると祖母がいつも手に入れていた
ご近所のイチゴ農家のものと同じイチゴを使っていたのかもしれない。

しかし、人の手で作られるこうした食べ物は人の呼吸がそれぞれに違うように
同じ材料同じレシピであっても違うものになる筈なのに、、、
いってみれば奇跡的偶然の味だ。

私の好みの味ではなかったが、
この鉄砲塚さんのジャムが有名店のレストランのオーナーシェフの目にとまって
さらに、その人の名前を冠にしてまで扱ったジャムと
同じものが作れた祖母の腕前は本物だったのだなーと変に感心していた。

あれからもそのレストランのショップの店頭に並んでいたようだった。
余りにも安心していて、路地イチゴの時期が過ぎた頃になれば手に入れられると思っていた。
うっかりと、、、。
いまはもうそのジャムを見ることがない。
結局そのジャムは一度きりしか頂くことができなかった。

祖母のイチゴジャムはちょっと苦手と言いつつも
イチゴジャムは大好きだった。
のに、、、さんざんとあっちこっちのジャムを食べ続けているわたしの舌に残っている味が、
祖母のイチゴジャムだったのだ。
きっとこれまで食べたジャムのなかでもその味を明確に覚えているジャムなどほとんどないだろう。

今年は、祖母のイチゴジャムを作ってみようかな、、、
もしかすると、今の私には絶品な味になっているかも♪

PS.先日検索をしたときにはでてこなかったのだけどこんなブログを発見。東急で扱っているかも、うれしい!
by sola-1-sola | 2010-02-06 09:15 |

小さな玉から見えてくる世界とか。


by そら
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